【アート思考を考える #7】仮説推論的アプローチで戦略的寄付が生まれるまで(1/4)

【アート思考を考える #7】仮説推論的アプローチで戦略的寄付が生まれるまで(1/4)

最近はVRを活用した新しい社会貢献事業のアイディア検証のために、夜はオリジナル3Dモデルの作成に挑戦中で、Blenderとういモデリングソフトに悪戦苦闘中です。そのために投稿のペースが落ちているのです。。。

それはさておき、昨夜、日経ソーシャルビジネスコンテストの事務局の方から連絡があり、表彰式と記念シンポジウムが7/11(土)にオンラインで開催されるとの連絡がありました。目先のモデリング作業や音声合成の検証といった、ちょっと楽しい作業に逃避気味となっていたことに気が付き、これはマズイという事で、今回から2回の投稿は、少々お堅めの内容になります。

「実績あるアプローチです」と言うために

アート思考のタグ付けをしているこれまでの記事では、私が考える仮説推論的アプローチによるアート思考の説明において、グラミン銀行の成功事例という他人の実績を借りたり、私の設計したワークショップという、私自身の成果物ではあるものの、第三者の評価がなされていない怪しいコンテンツを利用したりと、読者に対する説得力が不足している懸念を抱いていました。

そこで今回は、日経ソーシャルビジネスコンテストでファイナリストに選出されたという、第三者に一定の評価がされたアイディアである「戦略的寄付」が生まれたプロセスを例示します。そして、この多少なりとも実績のある具体例を用いて、私の考える仮説推論的アプローチによるアート思考を説明することで、読者の皆さんへの説得力の向上を狙います。

ただ、本題に入る前に、自分自身の実績を例として、自分の考えを説明すること、すなわち、自分自身が価値を創出することにこだわる理由を知ってもらうために、私の基本的ポリシーの一つについてお話しさせてもらおうと思います。本ブログはサイトの説明にもある通り、人の思考の観点で、読者の皆さんに気づきを提供できることを期待しており、私の思考と経験の共有には意味があると信じているので、少しお付き合いください。

やったこともないのに、ごちゃごちゃ言うな

つい先日、私の尊敬する先輩の一人と、オンライン飲み会をしたのですが、出合った当初から、お互いに共感していた、「自ら経験したことがないことは語るべからず。」という、私の基本的ポリシーを改めて認識する良い機会となりました。(「やったこともないのに、ごちゃごちゃ言うな」が原文ですが、表現が適切ではないため、これを機に改めることとします。)

その方は,業界の異なる複数の超大企業でのマネージメント経験があり、その上で、早々にその立場を捨てて、世界各地で誰にも邪魔されず、やりたいことやって過ごされています。うらやましい事、この上なしですね。

LAMBORGHINIが欲しい

その方とは、昔からよく車の話をしました。おじさん世代の私たちにとって、車はちょっと特別なものです。私の親世代では「いつかはクラウン」というキャッチコピーを誰でも知っており、人生の目標のひとつだった印象です。私はスーパーカー世代と呼ばれるレンジに入っており、ランボルギーニやフェラーリに対する想いは、若くして金銭的成功を遂げた方が高級車を買おうとする時に感じるそれとはタイプが異なると思っています。今でも、新興国では家や車といった資産、ブランド品やゴルフのような贅沢なモノやサービスは成功者の証として認識されていますが、成功した若者の感覚は、そちらの方に近いのではないでしょうか。

少し横道にそれましたが、普段使いの車について、私は国産車派であり、彼は外国車派でした。(外国車と表現するとマレーシアのプロトンのように壊れた状態が標準なのか?と思うぐらいの車も含まれますが、この記事での外国車は日本人が思う、いわるる外国車のことです。)私はいつも高品質で投資対効果の高い国産車の良さをアピールするのですが、彼は国産車も外国車も数多く乗り継いでおり、最後には、「買ってから言え!」といわれて、ぐうの音も出ないというのが定番でした。

そういう悔しさもあり、いかに日本車が素晴らしいかを自分の経験として語るため、ずいぶん前になりますが、やや無理やりにヨーロッパの車を新車で購入しました。そして分かったことは、「すばらしい!」。

シルキーシックス最後のモデル

その車には個性があり、運転して楽しいのです。そして、運転すると、その車がどうありたいのかを感じることができたのです。それを知ってしまうと、その当時に販売されていた日本車からは、他のメーカや車種とはここが違うといった、己の主張ではなく、他との比較という、切ないメッセージを感じてしまいました。更には、外国車が壊れやすいイメージは、完全に過去のものだという事を確認できました。異常検知のサインが出て、ディーラーを訪れたのは3年間で1度だけでした。このような顧客体験が、ロイヤルティ向上に直結し、多少の価格差など問題としない熱狂的なファン生み出すであろうことは、想像に難くありません。

最近ではマツダの車にはパッションを感じますし、直近で小さいものから大きなものまで3車種を乗り継ぎました。乗り味は価格相応ということで良いのですが、結構問題が多いことに驚きました。うち2台は海外の現地生産かもしれないので置いておくとして、1台は日本で購入した新車だったのですが、電気系統と標準装備のナビがひどく、日本車だというのに、2年間で何度もディーラーに持ち込む必要がありました。

そもそも、マツダ車には全く興味がなかった私が(学生時代に乗ったRX-7を除く)、購入に至ったわけですから、「魂動デザイン」に始まるブランド戦略、マーケティング戦略においては、一定の成果があったのでしょう。しかし、トヨタやホンダとの品質の違いを埋められない印象を残し、ましてや外国車よりもとなると、製造メーカとしての姿勢が気になります。

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マツダのコーポレートビジョンでは、独創性、輝き、歓びといった勢いを感じさせるメッセージが打ち出されています。一方で、トヨタのグローバルビジョンでまは、真っ先に安心・安全がうたわれており、ホンダの2030年ビジョンにおいても、最初の方向性をクリーンで安全・安心な社会へと定めています。これらのビジョンと私の一連の経験に全く相関が無いとは考えにくいと思いませんか?

加えて、企業のビジョンの違いが製品の品質に現れるなら、ビジョンが社員や組織の質に現れる可能性があるとは思いませんか?あなたのキャリアに影響を及ぼすかもしれない、自身が所属する組織のビジョンを再確認することをお勧めします。

中締め

このように、実際にブランド戦略の全く異なる外国車のオーナーとなることで、新たな知識と経験を得ることができるだけでなく、国産車との「差」について、自分の中で「問う」ことができるようになり、その「問い」から広がる考察により、自身の知識と経験が重層的かつ応用範囲の広いものになっていくのです。

ここまで、「自ら経験したことがないことは語るべからず。」に対するこだわりにの背景について1つの例を挙げました。しかし、世の中には、この思考と対極をなす、「公知の事実」と「ネットで見かけた他人の見解」をよりどころにした、脊髄反射的な思いつきでものを語る人が、なんと多いことか。情報のインプットに対して、自分自身の知識と経験により創意と工夫を凝らして、1ミリでも価値を上乗せしてからアウトプットしてほしいものです。特に、若者に何かを残すべき大人たちは。

そして、本題にたどり着けずに次回へと続くのでした。想定通りですが。