期待を超えることが本当に求められているのか? 日本一高級なプリンと日本一甘いトマトを食べたら、人材評価について気になって仕方がない件 (2/3)

期待を超えることが本当に求められているのか? 日本一高級なプリンと日本一甘いトマトを食べたら、人材評価について気になって仕方がない件 (2/3)

前回の記事では、満を辞して家族に対して投入した、日本一高級なプリンと日本一甘いであろうトマトが残念な評価を受けたところまでお話ししました。当然納得がいかない私は、その理由について自分なりに整理をしてみました。

まずは、「うーん、すごいのは分かるけど。。。」という感想から、商品に対する期待値が高くなっており、その上で、食べてみるとそれほどでもなかったという失望感の可能性を疑いました。すなわち、私が期待値のコントロールをしなかったことが敗因かと。

普段の仕事でも顧客の期待値コントロールが行われており、お客様にはサービスへの期待感は持って頂きつつも、期待させすぎないようにする事が、クレームのリスクを低減しつつ、程よい顧客満足度を確保できるという考え方です。私はそもそもこの考え方が好きではない上に、今回は家族に感動体験をしてもらうことが目的なので、そもそもアプローチからして不適切です。

そもそも今回は自分自身でも実食し、明らかな違いを確認していました。そのため、期待値に届いていないという事態は考えにくく、何度も感想を尋ねてみたところ、「普通のやつの方が好き。。。」とういう感想からピンときました。この商品は普通ではない、すなわちすごい商品ではあるが、期待値の上限を超えてしまったが故に、本来のその商品分類としての価値が下がってしまったのです。

トマトの例で具体的に考えてみましょう。トマトの概念は人それぞれですが、ほとんどの人に対して、「トマトは野菜である」は当然成立しますが、「トマトはナスである」は成立しないでしょう。では、「トマトはフルーツである」はどうでしょうか?トマトはフルーツではなく野菜であるため成立しませんが、「フルーツのようなトマト」であれば比喩表現として成立します。しかし、「イカのようなトマト」は言語として言うことはできても一般的に受け入れられません。

また、「トマトはナスである」はなぜ成立しないのでしょうか?確かに違う植物ですが、同じナス科の植物です。サケとマスは異なる魚ですが、同じサケ科の魚で、スーパーではマスもサケとして売られており、「マスはサケである」は言葉にするとギリギリ成立する感じもしますし、商品としてのスモークサーモンは、サケのようなマスとして確実に成立します。(サーモンはまた分類学的に色々あるようですが。)しかし、分類学上は同じ科に属するトマトとナスにおいて、トマトのようなナス、または、ナスのようなトマトは成立する気配すらありません。

このように、トマトにはトマトとして受け入れ可能な概念にとしての許容範囲があり、それは学術上の分類のような物質的な定義などとはあまり関係なく、人がそれぞれ接してきた環境、すなわち、育ってきた環境により固定化されます。そして、トマトの概念から逸脱しない範囲における甘いトマトはフルーツトマトと呼ばれ、独自の価値を生み出しています。しかし、トマトの概念を超えてしまうほどの今回の甘すぎるトマトは、極端に言えば、ナスやイカと同様に異なる概念のものとなってしまい、途端にトマトとしての魅力失うことで、結果的にトマトとしてはピンとこない商品となってしまったと結論づけました。今回の甘すぎるトマトは、特別なトマトとしてではなく、むしろ、「甘すぎない新種のブドウ」や「調理用のブドウ」という形で、「ブドウの概念を広げる存在としてのトマト」とすることで、新しい市場を創造できる、すなわち、市場創造型のイノベーションを起こすことができる可能性があるのではないかと感じるのですが、飛躍が過ぎるでしょうか?

一方、日本一高級なプリンについては、「すごい抹茶の味がして美味しいけれど、普通に抹茶として飲みたい。」という家族の感想に全てが凝縮されている気がしました。一般的にはプリンの概念はせいぜい数百円で購入できる庶民の商品であり、高級抹茶の概念は、価格以上に、提供される作法を含む環境や歴史が高級感や知的な印象を含んでいます。

今回のプリンは確かに上質な抹茶をふんだんに利用しており、一口食べるだけでそれが分かるが故に、この高級な抹茶を庶民のデザートであるプリンではなく、ちゃんと本来の抹茶として味わいたいと感じてしまうのです。また、抹茶を楽しむための小旅行が可能になるほどの価格設定が、尚更、プリンである必要性がないと感じさせてしまうのかもしれません。

ずいぶん昔にパンナコッタというイタリアンデザートが大流行しました。見た目は白いプリンでした。ババロアも見た目にはプリンと大差はありません。舌触りの柔らかい水羊羹も見た目はプリンと差して違いはありません。今回の高級プリンの製法がわからないため、デザートの分類としてどれが正しいかはわかりませんが、トマトと同じく、実際の分類など食の体験の観点からは何の意味も持ちません。

非常に滑らかな舌触りが特徴の今回のプリンは、プリンではない高級感を伴う何かとして、市場創造を狙うアプローチもあるのではないでしょうか?日本人が受け入れやすいのはフランス語の気取った名前の何かや、高級和菓子路線といったあたりでしょうか?とらやの羊羹も立派なお値段ですし。

このシリーズの最終回となる次回は、トマトとプリンからの飛躍により、新人の概念を超越した新人や、外資企業と日本企業の仕事観(仕事の概念)のギャップをネタにイノベーションに必要な人事制度や組織のあり方について考えてみたいと思います。